1/25 散髪時に積極的に会話する? / 『教養としての宗教入門 - 基礎から学べる信仰と文化 』感想

ごはん

朝食 なし

昼食 パン、ココア

夕食 餃子、ホワイトベルグ

 

バイト帰りにスーパー寄ったら鶏むね肉が100g38円だったので2kgほど買った。当分鶏むね肉です。

 

髪切った

美容院だか床屋だか分からないところに高校生の頃から通ってる。月曜日休みじゃないから扱い的には多分美容院だと思う。

 

髪切られるとき基本喋らないんだけど、隣の席の人はめちゃくちゃ喋っててよくもまあそんなに喋ることあるなと思う。

 

会話の流れを止めないための嘘

たまに雑談するときもあるけど、会話の流れを潤滑にするために嘘ついたり適当に合わせたりしてしまう。

 

例えば俺は片親だけど、いない方の親について仕事だったり仲だったり聞かれることがたまにある。

正直に「あー俺って片親なんだよね」と答えると話題がそれるし相手に申し訳ないと思わせてしまうし(本人的には何も思わないしむしろ説明する面倒くささのほうが勝る)雰囲気悪くなるから、だいたい適当に無難な答えをその場で思いついて話す。

ちなみに、コレは片親あるあるなので片親の人と話すと絶対に盛り上がる。

 

上のはわかりやすい例だけど、これから大して会うこともないような人と雑談をするとき、そういう話を潤滑にするための細かい嘘が増えるから困る。就活中なんか特に多かった気がする。

ついた嘘ってある程度覚えていないといけないから面倒なんだよね。だから嘘は基本的につかない方針だけど。

 

内向的な人間

結局のところ、美容院に髪切りに来たわけで会話しに来たわけじゃないから基本的に喋らないんだけど、こういうところが内向的なんだろうなと思った。わたしは人と会話すると体力が減る内向的な人間です。

 

そういえばこんな本ちょっと読んだんすよね。

内向型を強みにする

内向型を強みにする

 

 

自分が内向的な人間ということははっきり分かっていたので読んでみたんだけど、内容が内向的な人間に対する自己啓発本でしかなくて、内向的は素晴らしい! 内向的のここがスゴイ! みたいな内容だったので途中で読むのをやめた。

なぜ内向的な人間(25%)と外向的な人間(75%)がいるのか、なぜそのような割合的なのか、とか知りたかったんだけど当てが外れた。

 

いまそこそこ話題の本とか読んでみれば分かるのかね。親が持っていたはずなので気が熟したらいつか読みたい。

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

 

 

 

 

我らが母校の生徒、一瞬で分かる説

美容院からバイト先行く際に新宿駅寄った。新宿駅、我らが母校の生徒がいっぱいいる。我らが母校の生徒、バッグが特徴的すぎて一瞬で分かる。そして、あの骨格を歪なものとするバッグは未だに変わっていないんだなと思った。肩の片方だけに負担がかかる持ち方がベターなバッグを成長期に持たせることの悪習やたるや。

そういや俺のバッグ、端のチャックがぶっ壊れてたの思い出した。安全ピンで留めてたんだよね。でもちょっと開いてるから雨のときとかノート濡れてたりした。

 

本読んだ11

読んだのはコレ11冊目。

宗教って僕ら日本人にとっては馴染みがないもので、宗教という言葉のイメージはISやオウム真理教など物騒だったり胡散臭いものだったりで日常会話でもタブーな扱い、というか「私は何も信じてないし」って感じだと思うんすよね。

自称無宗教が多い日本だけど、世界的に見ればそんなことはなくて大体の国はキリスト教だったりイスラム教、ヒンドゥー教、仏教を信仰している。

個人的には馴染みがないけど知っといたほうがなにかと便利。宗教に関心はあるけど別に信じたくはない、でも知っておきたいということで読んでみた。

 

 

読んだ感想としては良書。

 

このブログを読んでいる人たちも一度は宗教について知ろうと思い、下のような本や旧約聖書新約聖書を読もうと挑んだことがあるのではないか?

私もそのときに読んでいた作品内に聖書のエピソードが元ネタということも多かったため、高校生くらいのときに挑んだがギブアップした。よく分からんしつまらない。読むのが苦痛である。

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

 

その頃読んでいたのはラノベがメインで小説をたまに読むくらいだったので、突然聖書という古典の中の古典を読むには厳しかったのもある。

 

本書は分かりやすく浅く広く宗教について知ろうと思ったならば最適だと思う。

 

本書の構成として宗教全体の特徴や仕掛け(戒律、儀礼)などを書いてあるメインの部分と資料編として世界の主要な宗教の基礎知識を噛み砕いて説明している。

メイン部分のページ数は133ページ! めっちゃ少ない。少なければ良いというものではないが少なければ少ないほど読むハードルが下がるのでありがたい。

 

内容的にも面白い。筆者は宗教には「薄い宗教」と「濃い宗教」があるという。思い入れの違い。

 

「濃い」というのは、日本人が宗教に持つイメージそのもの。普段から祈りや念仏、座禅など欠かさず神仏の絶対的な救いを信じるという自己の堅い信念を守っている。それが濃い宗教。

 

「薄い」というのは、知識や習慣といったレベルで人々に受け入れられているような宗教文化のこと。

 

このレベルで言えるのは、日本人は「薄い」仏教徒であり、「薄い」神道家でもある。

なぜ日本人が無宗教だとよく言われるのかは、なによりも自覚を大切にするキリスト教イスラム教などの一神教と比較した結果にすぎない。東アジア社会においてはどこでも、仏教や道教儒教がチャンポン状態で信仰されていて日本と大差ない。

そういった文化的伝統の違いも理解する必要があり、そういったことからも宗教とは多面的で多次元的なものだと分かる。

 

薄く広く理解するのに最適な本だった。ざっと読んだので正直全て理解できていない。いつかまた読みたい。物理本を買って手元に置いても良い本だった。