【宇宙よりも遠い場所/1.4万字感想】カーマン・ラインを越えた5人の少女
まずはじめに(読まなくても良い)
ネタバレしかないので必ず「宇宙よりも遠い場所」を観終わってから読んで。初見は一度しかできないので。
こういった感想? 考察? 検討? の文章を書いたのは初めてなので文章が下手だし構造がとっちらかっています。読みづらいです。特に10節あたりから、すんません
あと、ちょこちょこ書き足しながら書いているので同じようなこと書いてあったり、何がいいたいのか分からなかったりするかも、特にめぐっちゃん辺りが熱量が多すぎて自分でもまとめきれてない。
あとバイアスかかるのが嫌だったので他の人の意見や感想を全く読んでいません。
読んでしまって他人の意見や感想の集合体になってしまうのは避けたかった。
なので謎の独自解釈や間違った捉え方をしているところが多々あると思いますがご容赦ください。
かたっ苦しい保険はさておき、以下目次。
13000字あるので読んだ人はすごい。
- 1, キマリと僕らが抱える、なにかをしようとしてなにもできない弱さ
- 2, たった1つの想い貫く難しさのなかで 貫いた小淵沢報瀬
- 3, 友だちについて本気出して考えてみたら 行きついたのは友達誓約書だった結月ちゃん
- 4, 青春コンプレックス、「正しい青春」という概念を跳ねのけた日向ちゃん
- 5, 明るい青春だけが青春のすべてではない
- 6, 南極=転校してきた謎の美少女
- 7, 自分のことを客観視することの恥ずかしさと難しさ
- 8, 罪を自ら認めためぐっちゃんと日向の元クラスメイトとの比較
- 9, ここではない、どこかへと宇宙よりも遠い場所にたどり着いた2人
- 10, これは、小淵沢報瀬が自分の運命への決着をつけるための物語
- 11, 答えの存在しない問題は納得するしかない
- 12, 本物を見ることと、写真で見ることに違いはあるのか
- 13, このアニメは僕らの日常の延長線上にある
- 14, カーマン・ラインを超える勇気
- 15, 結論:「宇宙よりも遠い場所」というアニメは無茶苦茶面白かった
目次多すぎる
1, キマリと僕らが抱える、なにかをしようとしてなにもできない弱さ
1話冒頭で、主人公の1人であるキマリが「青春がしたい!」と何度目かの決意する。
高校生になったらやりたいことリストを作ったけどなにもやらないまま高校二年生になってしまった。
そうと決まれば善は急げ。ここではない、どこかへ。
しかし、学校をサボって東京へ行こうとするも怖くなり、結局登校してしまうんだけど、
めちゃくちゃ分かる。(以下関係ない自分語りなので読みとばしOK)
夏休みや冬休みが来るたびに「今年こそは長期休みでなにかを成し遂げるぞ!」と意気込み決意をしてきた。
しかし結局のところなにをしたというわけでもなく、なにものになれたわけでもなく、ゲームやソシャゲ、まとめサイトなどのブラウジング、読書などで時間を吸い取られて終わる。
しかし、高校生という親の保護下にしっかりと納められている中、アルバイトもできないため(特別な事情がない限りできない高校だった)
金銭的不自由な状況で時間だけ与えられた平凡な人間がなにかを成し遂げるのにはちょっと酷な状況なのでは? と思う。
まあ金銭的に余裕がある大学生になってもなんにもやってないのでこの言い訳は全く意味がない。
1人でなにかを成し遂げようと決意して実際にそれをやり遂げるのはめちゃくちゃ難しいし大抵失敗すると思うし、みな誰しも同様の体験をしたことがあると思う。
なにかやったことと言えば夏休みに深夜に一人で高尾山に登ったことしかない。しかも二回。意味分からないし頭おかしくなっただけだと思う。(そこそこ危険なので登山をあまりしたことない人はやらないほうがいい)
当時の気持ちを考えると、「ここ(自宅)ではないどこかへ行きたいが誰にも会いたくない」という強い気持ちが深夜の高尾山へ向かわせたのだと思う。
行ってみた感想としては、虫が多すぎる、一人だとさみしいしか覚えていない。
「そんなの行く前からわかりきったことでしょうよ」と思うかもしれないけど、夜中一人登っているなかで、コケたとき誰も「大丈夫?」と言ってくれない寂しさたるや。
正直そんなに心配してないけどコケてるからとりあえず言っておこうって気持ちが詰まった「大丈夫?」という言葉にありがたみを感じたのはこのときが初めてだった。
自分語りはさておき
かつて、というより現在もなお自分がたどっている安直な決意と現状維持バイアスを繰り返してきたであろうキマリに好感を抱かないわけがない。
よって好き。
2, たった1つの想い貫く難しさのなかで 貫いた小淵沢報瀬
1人でなにかを成し遂げることができなかったキマリの対比として、1人で南極に行くと決意し日々行動していた報瀬ちゃんがいるんだけど
彼女は「南極での母親の死」という大きな環境の変化がきっかけだし、決意というよりも執念といったほうがふさわしい。
じゃなければ二年弱? という期間、アルバイトで100万円という大金は貯められない。
遊びたいざかりの高校生にとって100万は社会人の1000万円くらいの価値があると思う。
最初は流石にある程度の貯蓄があったのかと思った(高校のときにお年玉を親に管理されていた友人は貯金100万弱あると言っていた)けど、12話(いま見てる)でのボロボロになった茶封筒から一万円を一枚一枚、どのような仕事で稼いできたのか数えるシーン(好き)から、本当に0から100万円稼いだのだとわかる。
仮に時給1000円(田舎の高校生の時給はもっと低いだろう)とすると100万円稼ぐのに1000時間かかる。3年しかない高校生にはあまりに重い時間。
たった1つの想い貫く難しさのなかで、理解者は誰もおらずただ一人、行けるかも分からない南極のために途方もないお金を貯めたのは尊敬しかできない。頑張っている子は可愛い。
よって好き。
3, 友だちについて本気出して考えてみたら 行きついたのは友達誓約書だった結月ちゃん
幼い頃から子役として子供でいられる時間を盗られてしまった結月ちゃんは、内気な性格と子役の忙しさなどから友だちがいままでできなかった反動として「友だち」を神聖視している。
子役として生き方の弊害が顕著に出てしまっているけど、別に子役であることに憐れみをおぼえるわけでもないし(むしろ失礼)、子役としての不幸があると同時に子役としての幸福があるのだと思う。
彼女自身忙しいことが好きといってるし、他の隊員が休憩中に自分の曲を流れていることや朝ドラのオーディションに合格して喜ぶことから彼女は彼女なりに忙しいながらも幸せなんだと思う。(こういうところこのアニメ細かい)
10話(いま見ながら書いてる)でも友達誓約書を渡そうとするんだけど
友だちであることを誓約して縛りつけることで安心したかったんだと思う
(おそらく子役で散々誓約書を書いてきた結月ちゃんにとっては友だち以上に馴染みあるものだったろうし、彼女にとって誓約書は自分を子役に縛りつけるものだった)
友達について本気出して考えたりしているの青春で好き。幸せと同様に、いつでも同じ所に行きつくのだろうか? 20歳超えたら小っ恥ずかしくてできないしそういう多感な時期に真剣に考えたりするからこそ意味があると思う。
よって好き。
4, 青春コンプレックス、「正しい青春」という概念を跳ねのけた日向ちゃん
一番マトモというか常識人というかバランスとれている日向ちゃん。
なんというか歪な人たちばかり(物語は基本そう)のなかでまともな人という印象が強い。
元クラスメイトと出会い、ブチ切れたときもわざわざ人目のないところに行ってからブチ切れるという大人っぷり。
他人には人一番気を遣うのに、他人から気を遣われることを嫌う。
というより、「心配しなくても私は勝手にやるから放っておいてくれ!」って感じだと思う。
実際のところ高校2年生の歳で高認取得、大学受験目指してコンビニでアルバイトしながら勉強中。
部活動による同期の裏切りで高校中退へ追い込まれたから、人間関係に嫌気がさしていた、人間不信に陥っていたと思うけど、
それでも心が強すぎる。バイタリティの化物。
あんな風に見事にハシゴを外れたら俺なら不登校になって引きこもるか、なんも青春もない楽しくない孤独な高校生活を耐え凌いだか、どっちかだろうし。
あんなことされたら普通に人生狂う。
でも日向ちゃん、即中退を決断したあと、高認の勉強して合格してるの頭おかしいくらい強い。
腐っててもしょうがないからホントは高校生活を過ごしたかったけど(出国前、修学旅行生を羨ましげに見る様子から未練はかなりある、自ら望んだ退学じゃないからそりゃそうだ)大学に行くために勉強も頑張っているのすごい。
失われた青春を仲間とともに南極を目指すという異なる形で取り返そうとしているのもすごい。
多分だけど南極を目指さなかったら、ずっと「正しい青春」を追い続けるユース・コンプレックスになっていたと思う。修学旅行生とか部活動終わりの学生を見るたびに失われた青春を思い出して「正しい青春」に囚われ続けていたんじゃないかなと思う。そういう人は多いからね。僕も男子校だったので多分抱えています。
ちなみに、青春コンプレックス、「正しい青春」という概念は以下のツイートを参考にしました。この人の著書はオススメ。
僕は昔からそれを「サマー・コンプレックス」と呼んでいるのですが、夏を強く感じさせるものを見るたびに憂鬱になるという人が結構おりまして、その人たちがいうには「自分は『正しい夏』を送ったことがないから」憂鬱なのだそうです。彼らの使う「正しい夏」という概念、僕はなんだかすごく好きです。
— 三秋 縋 (@everb1ue) 2015年6月25日
微妙に話戻るけど5話で陰口を言われているという話題になったとき(ほとんどめぐっちゃんの虚言なのだけど) 、
「それ(新宿で男性と遊んでいなかったと)証明できるのかよ。」
「人には悪意があるんだ。悪意に悪意で向き合うな。胸を張れ。」
「それに、ここにいるのは一人じゃないだろ。話せる仲間がいるってことだ。」
というセリフから、部活動で悪意に晒されて、自分が同学年の裏切りにあったことも証明できず、話せる仲間もいなく一人だった、かつての日向ちゃんが想像できて目頭が熱くなる。
よって好き。
5, 明るい青春だけが青春のすべてではない
正直このアニメに出ている人たち、だいたい好きだけど
めぐっちゃんが一番好き。
このアニメで主人公ら4人が紆余曲折ながらもポジティブで明るい青い空と白い雲のような青春をみせているとすれば、ネガティブで陰鬱とした薄暗い曇天のような青春をみせたのはめぐっちゃんだった。
前者は高校生という立場にありながら学校という舞台を使わずに青春を描いていることが素晴らしいと思っているんだけど、後者は後者でたまらなく好き。
たぶん中高生のときに読んだ「ボトルネック」や「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」から良くも悪くも影響を受けているんだと思う。陰鬱とした青春が好きで「ボトルネック」を読んでいない方がいたらぜひ。
めぐっちゃんからしてみればキマリは「自分がいないと駄目な存在」で、本人曰く姉のような立場だった。つまり「めぐっちゃん=姉=上」で「キマリ=妹=下」というような上下関係が彼女のなかにあった。
五話冒頭、幼少期めぐっちゃんの「マリちゃん、明日遊んであげてもいいよ」という上から目線のセリフから、幼い頃に彼女のなかで関係が確立されたのだと分かる。
しかし、キマリが小淵沢報瀬に出会い南極に行くことを決意したことで上下関係は崩壊する。
なぜならキマリは「自分がいないと駄目な存在」だから。
自分の知らないところで勝手に予想外の行動をするのは許されない。
自分よりも下の存在にいないと許せない。
私がなにも成し遂げていないのに、キマリが先に成し遂げようと一歩踏み出しているのは許されることではない。
だってそれがキマリとめぐっちゃんとの関係だったのだから。(幼馴染だったからもちろんそれだけが全てだけではないだろうけどあったのは間違いない)
ぶっちゃけめぐっちゃんが性格悪いとは思わない。誰だって自分より圧倒的に優秀な人が友だちだったら「自分ってアイツと違ってしょうもないなぁ」と自分が情けなく思うし嫉妬だってする。逆に自分より劣っている人をみて安心するのは普通のことだよ。
6, 南極=転校してきた謎の美少女
冒頭でキマリが「青春がしたい!」とここではないどこかへ行こうとしたとき、めぐっちゃんは肯定的でキマリが学校をサボるために協力した。このことからめぐっちゃんはキマリが成長することを嫌ってはいなかった、むしろ好ましく思っていたとみえる。(もしくはキマリは一人きりではどこへも行けないとわかっていたのかもしれないがそこまで黒くないと信じたい)
ただ南極行ってくるとなると話は変わってくる。
高校生のときに友人が突然「ちょっと学校サボって箱根行ってくる」と言われたら「おっ、いいじゃん。楽しんでこいよ。」となるけど、
「ちょっと学校休んで南極行ってくる」と言われたら「いやいや、ちょっとまて。まって」となるでしょ。
南極は話のスケールがデカすぎる。
日本から1万4千キロ、まさしく宇宙よりも遠い場所。箱根の比じゃない。
ラブコメで幼馴染が急に謎の美少女とボーイミーツガールして知らぬ間に奪われた気持ちに近い。
あの夏で待ってるとかいうアニメ思い出して悲しくなった。青髪は救われない運命。
性格が良い人ほど損な役回りになってしまう世の中の不条理さと切なさを如実に表したアニメです。秒速5センチメートルが好きな人は好きなのでどうぞ。
アイツには私しかいないからと安心してのんびり油断していたら急な刺客に刺された感じ。柑菜ちゃんには幸せになってほしい。
箱根は日帰りでいけるが南極はそうもいかない。何ヶ月も休むとなると心配にもなるし寂しい。精神的にも友人が自分を置いてどこか遠く(実際遠い)へ行ってしまうのではないかと思うのはごく自然なことだろう。
さらにめぐっちゃんが「(何ヶ月も離れるのは)さびしい?」と聞いたらキマリは「ううん」とバッサリ言われてしまったのが更に拍車をかけた。「自分(めぐっちゃん)と離れるのはさびしい」と言ってほしかったに違いない。
7, 自分のことを客観視することの恥ずかしさと難しさ
めぐっちゃんだって黙ってキマリが南極に行く(=キマリとの上下関係が崩れる)のを
見ているわけではない。幼馴染から長年続いてきた関係だ。キマリが自分に頼ってくれる、依存してくれるそんな心地よい関係を簡単にハイそうですかと諦められるわけがない。
「キマリを助けてあげられる自分」というアイデンティティの崩壊にも繋がるのだ。
なにもせず潔く諦めきれるモノなら最初から大切にしない。
まぁやったことと言えば、報瀬に対する陰口を流すくらいなもので可愛いものである。
キマリが唯一めぐっちゃんに勝つことができるゲーム(多分ぷよぷよ)をしているときにわざと電源ケーブル引っこ抜いたけど本当はそうしたかった。できることなら全てなかったことにしたかった。ずっと自分のそばにいてほしかった。
わざと骨折させる、パスポートを盗るなどで南極に行くことを妨害しなかったのは、そこまでの勇気がなかったのは勿論だが、彼女のなかにも葛藤があったのだと思う。
彼女にとってキマリが南極に行くことは心地よい上下関係が崩壊することだけではなく、無自覚ながら友だちの成長を感じる喜ばしいことでもあったのだろう。
だから黙って見送ることもできず、南極に行くことの妨害もできず、どっちつかずな中途半端な嫌がらせをしてしまった。
しかし、キマリが「自分を変えたい、遠くへ行きたい、ここではないどこかへ行きたい」と強く思っていたのは、めぐっちゃんに依存していた、寄りかかっていた自分が嫌いだったからで「南極に行くことは、めぐっちゃんと対等な関係になりたかった」だと知ったときに、自分がなぜキマリの足をひっぱるようなことをしたのかを初めて自覚した。
8, 罪を自ら認めためぐっちゃんと日向の元クラスメイトとの比較
繰り返しになるが、やったことはしょうもない嫌がらせである。
ただずっと一緒だった幼馴染という関係の相手にそれをしてしまったことは彼女にとっては許されるべきではない大罪だったし、長年の関係が崩れることだった。
だから彼女は「絶交しにきた」と最初に言ったのだと思う。
自ら依存していたキマリとの関係を断ち切ろうとした、これから自分の知らない友だち(結月ちゃんからしたら分からんけど、めぐっちゃんにはそう見える)と南極を目指すキマリは、自分の後ろで引っ付いていたキマリから飛び出した。
キマリの大きな成長を友だちとして褒めてあげられないばかりか、あまつさえ足を引っ張ろう、ケチをつけようとしてしまった。
友人失格である。こんなのは友だちではない。
キマリたちは自分の悪意にまだ気づいてない。でも関係なかった。自分が自分を許さなかった。そうして自ら罪を告白したんじゃないかなと思う。
まずはじめに自らの罪を罪として認めることが難しく、時間の流れにまかせて罪を忘れ、「あぁそんなこともあったよね、もうしわけないなぁ」となあなあにすることが多い。
現に日向の元クラスメイトがそうで、ちょっと会うのは気まずい(日向からすれば気まずいとかそういうレベルではない)けど「元クラスメイト、部活の同期が南極に行くという偉業を成し遂げているから友だちとして誇らしいよね。」「ちょっと前にいろいろあったけど誠心誠意謝れば許してくれるよね。だって同じ部活動で頑張った仲間だもん!」
そういう自分たちに都合の良い考えが透けて見える。(ちょっと邪推かもしれないけど)
そもそも取り返しのつかない状況になって謝るという行為自体、相手がそれを望んでいなければエゴの押し付けに過ぎないし、相手に許すことの強要でしかない。
謝った側は許してもらえて、ずっと抱えてたモヤモヤが晴れてスッキリ、過去の負債にケリをつけることができて満足かもしれない。
でも謝われた側からすれば、「今更そんなこと言われたって取り返しのつかないし、ふざけるなよ」って思うだろうし、でも相手が謝ったのを許さないのは(大抵の場合多くの目がある中での謝罪が多い)自分の器が小さい、人としてどうなのとまるで自分が悪いかのようになるは不条理だよね。
日向の元クラスメイトを見て思った。
誰も気づいていないのに黙っていることを、時間が解決することを拒み、
自ら罪を告白するのがどれほど恐ろしかったか、
自ら幼馴染との関係を断ち切るのがどれほど怖かったか、
まさしくその恐怖に負けず勇気を出して言い切っためぐっちゃん好き。
めちゃくちゃ好き。
9, ここではない、どこかへと宇宙よりも遠い場所にたどり着いた2人
13話ラストシーンでめぐっちゃんは北極にいたけど大好きになった。
「ここじゃないところへ行くのはわたしなんだよ」と言っていためぐっちゃん。
キマリはめぐっちゃんに引っ付いているだけではなく対等な友だちになるための一歩として南極に行ったけど、めぐっちゃんも一足先に進んだキマリに追いつくために、対等な関係で居続けるために北極に行った。関係性が美しい。
ただただ置いていかれるわけにはいかないという思いから、北極に向かう行動力、驚嘆の一語。
南極よりはルートが多いし近い(約7000キロ)から難易度低いかもしれないけど、 それでも高校生が行くのには難易度が高すぎる。それこそ70~150万円ほど必要になるし、相当尽力したんだなと思う。というより親が偉大すぎる。
この作品のいいところの1つ「大人がちゃんと大人しているところ」が好き。
ここではない、どこかへと宇宙よりも遠い場所に向かった2人の関係性好き。
10, これは、小淵沢報瀬が自分の運命への決着をつけるための物語
そもそもキマリが南極に行くと決意したのは報瀬ちゃんと出会ったからで、報瀬ちゃんが南極に行くのは南極でのお母さんの死がきっかけだった。
だからこれは報瀬ちゃんのお母さんの死という理不尽な運命から始まった物語で、
そして、報瀬ちゃんが自分の運命への決着をつけるための物語だ。
母が南極から帰らなかったあのときからずっと醒めない夢の中にいる。その夢は南極に来ることで、母が愛したその場所に行くことで醒めると思っていた。でも南極にやってきた今も夢は醒めることなく続いている。もし母がいる場所に行ってもこの夢が醒めなかったら、そう考えると怖くてたまらない。母の元へと向かう最後の旅が始まる。日本から1万4千キロ。宇宙より遠いその場所へ。
ーSTAGE12 宇宙よりも遠い場所 あらすじ より
脱線するけどアニメタイトルが話のサブタイトルになるのありがちだけど好き
報瀬ちゃんは、
お母さんはなぜ亡くならなければならなかったのか。
そもそもなぜ南極にお母さんが行ったのか。
なんでそんなところに向かったのか、ずっとずっと考えていたと思う。
岳って山岳救助の漫画があって、父親を北アルプスで失くした息子が、ピッケルを探しに父親が亡くなった場所まで行く話があるんだけど、それを思い出した。
滑落して瀕死の状態で父親の書いた形見分けの遺書。
姉や母には土地や預金を形見分けしているのに、なぜか息子にはピッケルを託した父親。
しかし、現場周辺にはピッケルがなかった。
そのため、形見であるピッケルを探すとともに、なぜ父親が山登りをしていたのか、なぜピッケルを形見としたのか考えながら滑落地点に向かうんだけど、
同じようなことを報瀬ちゃんも思ったんだろうなと思う。
なんでお母さんは亡くなってしまったのか、そもそもなぜ南極という場所に向かったのか、南極のなににそこまで惹かれたのか、自分よりも南極を優先したのか。そういった疑問があったに違いない。
「その答えは南極に行けばきっとわかるんじゃないか」という思い込みでがむしゃらに突き進んで南極を目指した。
がしかし、南極に到着しても今までガヤばっかり飛ばしてきた外野に対して「ざまあみろ!」と叫んだり(スッキリしてケリがついたので本人は叫んだことを忘れてしまっている)、南極に到着したら泣くと思っていたのに「なに見ても写真と一緒だ」という感想しかなかった。
答えは見つからないまま現実は同じだった。
いよいよ「お母さんが待ってる」はずの天文観測所予定地に向かうことになってもそれは変わらず、今まで目指していた終着地点にたどり着いても変わらないままだったらどうしようという不安がよぎる。そこで変われない、分からなかったら一生同じままなのでは? ずっとずっと頑張ってきたけど意味なんてなかったのでは? そうではない、そんなことはないと思うけど、もしそうだったら恐ろしい。
でもそうではないと、そんなことはないと教えてくれたのは友だち”ではなかった”。
「なにかをするのが思いやりではない、なにもしないのも思いやりである(ドヤ顔)」by 日向ちゃん
ありがちじゃないのがいい。いくら友だちでも踏み込めないラインってあるもんだよね。身内の死なんていくら濃い経験をした仲とは言えども、最近知り合ったことには変わりないわけで、それこそ踏み込んで何かを言えるのは、お母さんの親友であり、行方不明になったときに近くに居た藤堂隊長だけだった。
隊長曰く、
「答えは南極に行けばわかる」「お母さんが待ってる」というのは報瀬ちゃんの思い込みにすぎない。なぜなら相手の意志や生前の希望なんて分かるわけがないから。
だけど、「結局人なんて思い込みでしか行動できない。けど思い込みだけが現実の理不尽を突破し、不可能を可能にし、現実を前に進める」好きなセリフ。
そしてなにより、ずっとそうしてきてここまで(宇宙よりも遠い場所)来たんでしょ。と言葉をかける隊長。かっこいい。
思い込みで人に頼らずここまで突き進んできた報瀬ちゃん
ボロボロになった茶封筒から一万円を一枚一枚、どのような仕事で稼いできたのか数えることで、全てが思い込みだったとしても今まで頑張ってきた軌跡は確かにあったのだと。
11, 答えの存在しない問題は納得するしかない
報瀬ちゃんが行くか悩んでいたときにはあえて放っておくことで一人で考えさせて、報瀬ちゃんが天文観測所予定地に到着してからキマリたちが報瀬ちゃんのために動き出したのがすごい好き。
そして見つけたのは、お母さんのノートパソコン。
メール更新で続々と受信される「Dear お母さん」のメール。
報瀬ちゃんはもちろんキマリたちも号泣するし、僕も泣いた。
報瀬ちゃんはやっと醒めない夢から醒め、母の死を受け入れることができた。
送信トレイにあった1件のメール。
送信トレイというのがいまいち分からなくて調べたけど、後で送信するために保存したメールやエラーが発生して送信できなかったメールが送信トレイに保存されるらしい。
きっとあとで送ろうとしたんだろうな。電波も通らなそうな基地にあったノートパソコンだし。
「本物はこの一万倍綺麗だよ」というメールが答えだった。
ホントは答えかも分からないけど、隊長が言っていたように相手の意志や生前の希望なんて分からなくて、ただそれが答えだと自分が思い込むしかない、納得することしかできない。
そうすることで報瀬ちゃんは自分の運命への決着をつけることができた。現実を前に進めることができたのだ。
以下、全然アニメに関係ない話(なんで書いたんだ)
友だちとの付き合いで競馬をすることがあるんだけど、最近だと有馬記念を見に行ったり。
馬券を買ったほうが100倍楽しめるからもちろん買うけど、僕は「自分が納得できるか」を基準に買ってる。
競馬って16頭くらいから上位3頭がなにがくるか考えるんだけど、競馬新聞を読んでも、直近の成績や有名な人の予想をみても分からないんだよね。すべての情報を信じると矛盾するし、結局どの情報を信じるのかは自分で考えて決めなきゃいけない。
考え抜くのってキツイから、つい誰かの予想の通りに馬券を勝ってしまいそうになるんだけど、そうしてしまったときって負けたときかなり後悔する。
キツイけど自分で情報を取捨選択することで出した結論だったら、後悔せず納得できるんだよね。たとえそれが根拠のないオカルトじみた考えで導き出されたものだったとしても。夢があるからという理由だけだったとしても。
納得はすべてに優先する。
だから、もし予想が外れたとしても納得できるのか、それを基準にして馬券は決めている。
競馬を例にしたけど、コレは他のことにも言えることで、自分の進路に2つの選択肢がでたとき、どちらにするのか、僕は自分が納得できるほうを選ぶ。
12, 本物を見ることと、写真で見ることに違いはあるのか
オーロラが写真で見るより本物は一万倍綺麗なのかは見たことがないのでわからないが、
写真でわかること、映像でわかることがあるように、実際に自分の足で行って本物をみることでわかることがあるのだと思う。
僕も登山を長いこと続けているけど、山頂や尾根からの壮大な景色は写真でみるのと本物をみるのは違う。
景色に感動して写真を撮るけど、撮った写真をその場でみても感動はしない。確かに壮大で綺麗だけどそれだけでしかない写真なのである。なにかが欠落している。
それはそこまでの道のりを地道に踏破してきた努力だったり、視覚だけではなく五感を通して感じるものだったり、あるいはただの思い込みなのかもしれない。
写真でわかること、写真ではわからないこと。実際に自分の足でその場所にたどり着く、本物をみることで初めてわかることがあったりする。
この写真なんか歩いているときは眠いな、寒いな、帰りたいな、と思っているだけでなんの感情も動いていないけど、写真で切り取ると違った美しさがあってすごく好きな写真。
13, このアニメは僕らの日常の延長線上にある
このアニメは青春アニメなのは間違いない。
だけど、学校が舞台ではないし、文化祭とか体育祭、なんかの大会という青春のイベントがあるわけでもない、放課後の教室や部室で仲の良い友達ととりとめのない雑談で無為に時を過ごすわけでもない。テンプレートな青春ではない。
また、非現実的な青春でもない。突如美少女の形をした宇宙人が襲来するわけでもないし、宇宙人を荷台に乗せて自転車で空を飛ぶわけでもない、謎の組織の陰謀に巻き込まれるわけでもない。登場する女の子は、ちょっと心が強い子が多いけど等身大でそこら辺にいそうな子ばかり。
宇宙よりも遠い場所は、青春というテンプレートから離れた現実的で等身大な物語だった。そういうところに惹かれたのもある。
似たような物語として、パッと思い浮かんだのが「スタンドバイミー」と「ノッキンオンヘヴンズドア」だろうか、前者は有名なので割愛するが後者の「ノッキンオンヘヴンズドア」は名作なので観て欲しい。そして海を見に行ってほしい。なぜか? 知らないのか? 天国ではみんな海の話をするんだぜ。
とある病院で余命幾許もないと診断された2人の若者。天国で流行しているという海の話をするために、海を見たことがないルディとマーチンは車を盗み、病院を脱走し海へと走り出した。途中で犯した強盗の罪により警察と車を盗まれたギャングの双方から追われる立場となった二人が海で見たものとは―。
そもそも青春テンプレートなアニメがあまり受け付けない、なぜかというと、中高男子校だった僕にとってアニメの中でしか存在しないもので、この世に存在しない非現実的なものでしかなかった。
それなのに学校の文化祭などのイベントは一丁前にあったものだからその点においては現実的だけど、登場人物全員男だった。
だから、アニメがなるべく現実的な青春っぽいものになっていくにつれて、対比でこちらの現実を思い出してしまい厳しいものがある。
あと共感性羞恥が強いのでそういう場面が多い青春学園系アニメがしんどいのもある。
ちょっと屈折した見方になってしまったけど、そういった意味でもこのアニメが好きだ。
だって僕が今から南極を目指そうとして大学中退した友だちやバイト先のフリーター、退職したがってるサークルの元先輩を引き連れ、紆余曲折あったけど最終的に南極までたどり着いてしまったら、それは1つの物語になってしまう。
アニメよりドラマチックなことは起きないかもしれないけど、それでも想像もしないなにかがあるのは確かだ。
そういった僕らの日常の延長線上に物語はある、その可能性を見せてくれたアニメでもある。
14, カーマン・ラインを超える勇気
報瀬ちゃんたちにとって宇宙よりも遠い場所は南極だったけど、僕らの宇宙よりも遠い場所はどこなのだろうか。
そも宇宙はどこから宇宙なのだろうか。
というよりどこからが宇宙という定義はない。
海抜高度100kmに引かれた仮想のラインであるカーマン・ラインを超えた先が宇宙というのが一説としてあるがその場合、東京から宇都宮までちょうど100kmなので2時間弱で5000円もかからずに行けてしまう。100万円貯める必要ない。
まぁそういうつまらないケチをつけるのは野暮なわけだけど、ふと昔読んだ文章を思い出した。「空はどの高さから空なんですか?」という小学生の疑問。
非常に文学的な答えで好き。
紙飛行機が飛ぶのは空であることには間違いない。
宇宙も空と同じことが言えるんじゃないかなと思う。
宇宙の定義なんて正確には決まっていないんだから、各々の視点で変わるものだと、だから宇宙よりも遠い場所はどこにもあるといえるし、カーマン・ラインも同じことが言える。
それは報瀬ちゃんにとっては南極で、めぐっちゃんにとっては北極で、僕らにとってそれは、遥か遠くの海外のどこかかもしれないし、宗谷岬かもしれないし、税務署や役所だったり、歯医者だったり、実家だったり、疎遠になった人だったりするかもしれない。
一歩踏み出してカーマン・ラインを超える勇気があれば、キマリたちのように少しだけ強くなれるんじゃないかなと思う、そしてオーロラほどダイナミックで美しいものは見ることはできないかもしれないけど、そこでしか見れない本物を見ることができるのではないか。そう思った。それこそ最初にキマリがみせた一歩踏み出す勇気のように。
15, 結論:「宇宙よりも遠い場所」というアニメは無茶苦茶面白かった
読み飛ばしただろうけど、ここまで読んでくれてありがとうございました。
総計1.4万字なんですけど、コレ僕が書いた卒論の2倍の量ある。もっと卒論に力を入れろ。
最初はこんなに書くつもりなんてなくて、5話でめぐっちゃん大好きになってしまったから、こういう心情だったんじゃないかなと続き見ながら軽く書いていた。そしたら10話で友達誓約書が出てきてテンション上がってそれも書いたりして、気がついたら1万字くらいになってた。それで、文章をまとめようとしたらまとまりきらず4000字追加された。途中からどこまで書いたのかスクロールするのも大変だった。
正直10節くらいから自分でも何書いているのかわからなくなったのでそのまま放り投げました。これ以上時間を費やしても変わりそうになかったので。でもあーでもないこーでもないと考えながら書いているのは非常に楽しかったです。
いま一話を改めて観たら日向ちゃんが出てたり、「一緒に行く?」と誘う報瀬ちゃんがめっちゃ可愛かったり聞き逃していた情報があって焦ってるけど放置。
無駄に長いこと書いたけど、なにが言いたかったのかと言うと
「宇宙よりも遠い場所」というアニメは無茶苦茶面白かったということです。
これからもたまに見るだろうし見て良かったと本当に思います。いいアニメでした。
たぶん見返すたびに泣きそうになると思う。いま2話観てるけど別にどうというシーンでもないのにちょっと泣きそうになった。
まずキャラクターが良い、ストーリーを進める上で頭の悪い、非常識的な狂言回しとかがおらず、みないい人だった。シン・ゴジラとかもそうだけど、みな方向は違えど目標に向かって努力したり苦悩した結果、物語が進んでいくのは非常に好ましい。
細かい小ネタが多い。日向ちゃんが空港で修学旅行生に目をやるシーンとか、観測隊員の男性が女子高生の前でちょっとはりきってランニングするシーンとか、めぐっちゃんが虚言を言うときの目や表情の変化とかが明らかにその場しのぎであるとわかるシーンとかパッと思いつくだけでも多い。
なんとタイムリーなことにニコニコ動画で12/30 24:00から全13話一挙放送やるぞ!
アマゾンプライムビデオでも全話観れるからぜひ観よう。
ということで、「宇宙よりも遠い場所」の感想だったのか考察だったのか、もしくは自分語りだったのかもしれない駄目な長文を終わります。次書くときはもっとコンパクトにまとめたいです。以上。