2/21 もしかして他人に頼らずに自分の感想や意見を書くことって大変なのでは!????
ごはん
朝食 なし
昼食 ラーメン
夕食 チャーハン
最近中華しか食べていない気がするけど美味いのでモーマンタイ
第二外国語中国語だったけど、ウォーシーリーベンレン(私は日本人です)と自分の名前しか言えない。二年間勉強してきてコレですわよ。
自分の感想や意見をひねり出して書くの難しい
本とか映画とか記事もそうなんだけど感想とか自分の意見を書くときは、なるべく他人の意見を見ないようにしている。『宇宙よりも遠い場所』の感想でも書いた気がするけど、Amazonの評価だったりネットで「作品名 感想」と検索すれば出てくる他人の書評を見てしまうとそういった他人の意見の集合体になってしまうんだよね。
実際、このブログを書くまでにはゲーム、映画、小説などの作品を体験したあとには必ずといっていいほど見ていたし、そういった他人の感想やら考察をみて「なるほどなー」と思っていた。
それ自体が悪いわけではないけど、自分が感じた思いを言語化する前に他人の意見に触れてしまうと無くなるものがあるんじゃないかなーと思う。すごい感覚的かつ抽象的なことを言っているからすげえふわふわとした文章になっているけど。
例えば、自分の意見がAとして、他人の意見がB,Cとすると、234の部分は他人の意見に触れることで「ああ、そうだよね! あのヒロインの献身が良かったよね」みたいに作品のどこが良かったのか再確認できるんだけど、自分の感じた1の部分は消えてしまうんだよね。
1の部分の内容が大事なわけではないんだけど、自分で考えずに他人の意見に影響を受けることを繰り返してしまうことでそれに慣れてしまうと自分の意見や感想がなくなってしまう。
「正直つまんなかったけどみんなが絶賛しているからオススメ」「自分は気にしていなかったけどみんながストーリーをクソといってるからクソ」みたいに他人がこう言っているからそうなんだと思ってしまうようになるんじゃないかなと思う。ベン図的には3,6が自分の意見になってしまう。
また、自分がやってもいないのに他人の意見を借りて自分の意見としてしまう。いわゆるエアプというやつ。自分もやったことあるから分かるけどすげえ楽に優越感に浸れるんだよね。意見や感想、評価を語ることって基本的に上から目線の行為だから。
「ネットde真実」に目覚めた人ってお金になりそう
でも、借り物の意見ばかりにすがっていたら自分の意見がなくなるとともに自分で考えることもしなくなるんじゃないかなと思う。インターネットが発達した現代なら様々な悩みや疑問、意見、考察は調べれば一瞬で表示されるし。なにしろすごい楽。
それに依存してしまった人が「ネットde真実」で借り物のズレた正義を掲げてしまったり、胡散臭い投資セミナーに参加してそこで知り合った女の子二人にオススメされた『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』を帰りの本屋で女の子と微妙な距離感のある会話をしながら買うことになってしまうんじゃないかなと予想している。
改訂版 金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント:経済的自由があなたのものになる (単行本)
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特に後者は本屋で働いていて十数回くらい見かけているので、もし他人からこの系列の書籍を勧められた場合は胡散臭い投資話を持ち掛けてカモにしようとしているので気をつけたほうがいいです。
自分で考えることを全て放棄して他人に委ねようとするほど騙しやすいものはないと思う。もし自分がなんかしらの詐欺まがいの商法を思いついたとしたらそういう「ネットde真実」に目覚めた人をTwitterからピックアップしてDM送るし。そういう思想のまとめブログに広告を出してもいいかもしれない。
あとはコミュニティを作って入れてあげれば、自分と同じ意見を持つ人がいっぱいいるという安心感や心地よさから勝手に依存してくれると思う。正義を振りかざして殴っている人って周囲の現実に満足していない人が多そうだし。あと暇そう。もし忙しかったら他人の人生なんてどうでもいいでしょ。
結局、文章を書くの難しい
で話を戻すと、結局はとりあえず他人の意見に触らずに自分で考えることが大切なんだけど、ぶっちゃけ難しい。自分で考えてそれを文章にするのはもっと難しい。
よく作品を作っているひとが「今作は難産でした」とか言っているけど、いまいちピンときていなかった。でも、このブログで感想とか書くようになってから痛感してる。自分の中にあるフワフワとしたものをなるべく失われるモノが無いように原型を留めるような言葉で表すのは難しい。
ちょっとまた脱線する、Twitterでイラストレーターの絵のツイートに絵の感想を画像リプで送っている人いると思うんだけど、最近だとなんかのキャラがRTといいねを叩く画像を使ったり。コラ画像だったり。そういうの見ると、てめえの言葉でちゃんと伝えろと思うんですよね。他人に直接話しかける言葉ですら他人のものを借りるなんて怠惰にもほどがある。
作品の感想を文章ですらない借り物の画像で伝えるのってなにもリプライを送らないのとほぼ同義だと思う。たぶん何も考えず反射的に送っているんだろうね。なんか虫みたいですね。借り物の画像リプでいいねが貰えるのが嬉しいのかな?
言語化するだけでも難しいのに文章ごとの流れとか構造とかをうまいこと繋がるようにするのは至難の業だと思う。よくコラムとか書いているのを見ているとすごい。なに食ったらそんな文章ができあがるんだ。いま書いているのは書きたいように書いているので論理展開とか文脈とか適当だぞ。
でもこういうのは経験の問題で一朝一夕に身につくものではないからコツコツとブログ書いていって慣れるしかないのかなと思う。頑張りたい。アホにはなりたくないので。
この文章書いていたら本の感想書く時間なくなりそうなので『私が大好きな小説家を殺すまで』の感想は明日になる。